「人間は何で幸せを予測できないんだろうね」 ペンを走らせる音しか聞こえなかった応接室に少し間抜けな私の質問が響く。ペンを走らせていた恭弥は一度ペンを書類から放して、 猫みたいな鋭い目の中にある綺麗な黒い瞳をもって私を見据えて「はぁ?」と意味がわからないというどこかバカにしたような感じの声を出した。 「だーかーらー」私が復唱しようとすると彼のトンファーが私の頬をひゅっと掠めた。私は両手をあげておどけたように「ごめんごめん」と謝る。 格好こそおどけているけれど、謝ったことに満足したのか恭弥はトンファーを仕舞う。多分、一ミリでもずれてようものなら頬に赤い線が走っただろう。 考えるだけで背筋がぞっとする。そんな私を尻目に恭弥は「独り言なら勝手に続けたら」と行ってまたペンを書類に走らせ始めた。 これは恭弥なりの優しさだ。 みんなは冷たいだとか言うかもしれないけれど、長い付き合いだからなんとなくこれは優しさだってわかる。というより多分このままだんまりを決め込むと、 きっと、いや絶対、トンファーが飛んでくる。しかも次は頭の、打たれたら絶対一番痛いであろう位置を的確に気絶しない程度の力加減で。 また背筋がぞっとする。でもやっぱりそんな私なんかどうでも良いかのように恭弥は「あと5秒」と書類からは目を離さずにきっぱり言い放つ。 少し焦りながらも口を少し冷めた紅茶で潤してから開いた。 「だっておかしな話よ?不幸せになったとき如何すれば傷つかないかって考えたり、未だ起こらない不幸せを嘆いたりすることは簡単に出来るのに、 未来に起こるかもしれない幸福には何の対応もできないどころか、容易に考えることすらできないのよ?」 恭弥は黙って私の話をきいてくれている(と思いたい)。相槌も何もないけどなんとなくそんな感じがする。 もう一度、今度は喉の渇きを潤すためにさっきよりも一段冷めた紅茶を飲む。ふと恭弥の手前にあるカップに目を移すと中身はもう空っぽになっていた。 後で淹れなきゃね、ぽつりと呟いて自分の手の中にあるティーカップに目線を移して口を開いてまた話を続ける。 「今ある幸せしかわからないのってどうかなぁって思うの。あ、でも幸せと付し合わせだと引きずる時間が全然違うものね。」 私が一人でうんうん唸って悩んでいると、いつの間にか書類から目を離して私を見ている恭弥と目が合う。恭弥は何も言わずに顔を近づけてきて、唇を重ねた。 さっき呑んだ紅茶で唇が潤んでいたからか、ちゅ、と軽い音を立てて恭弥の唇と顔が離れていく。 唇に熱が集中してくる。きっと今は顔がものすごく赤いのだろう。私は両手で頬を覆って、頬の熱を逃がそうとする。 けれどそれは恭弥の手によって拒まれて、そのまま、また恭弥の顔が近付いてきたと思うと、次は耳たぶあたりに恭弥の唇があたる。 少しくすぐったくて身体をもぞもぞさせる。それを見て声を殺して笑う様がすごくむかついたと同時に、他の女の子にはこんなこと絶対しないよなぁという優越感をもたらす。 どこまでも恭弥に踊らされてるなぁ、そう思うとすごく悔しいけれどなぜか幸せな気分になってしまった。きっと私の幸せ器官は少し難アリだ。 「今は幸せだろ」 「これが予測できる幸せならは今幸せじゃないと僕は思うけど」 にやり 恭弥の笑みは勝利を物語っていた。 |