多分、夜も明け切らない頃だったと思う。イタリアの冬の夜は寒くて、民間人は人っ子一人いなかった。 もっとも私たちは民間人ではないものだから、警戒しながらだけどイタリアの夜の路地裏の風景を楽しんで歩いていた。 歩き慣れていないから少しの恐怖はあったけれど、そんなの死ぬ恐怖に比べたら全然怖くなくてむしろスリルがあって楽しいものだった。 死ぬのが怖いかと聞かれたらそうでもないんだけど、この路地裏に染まれるかと聞かれたらそれは無理だろうと思う。



連れがタバコをふかしている。いつもはタバコなんか吸う人じゃないのになぁ。吸うんだ?と聞くと、普段は吸わないと当たり前の答えが返ってきた。生まれたときから一緒なのだ、知らないはずがない。 一口頂戴、というと言葉は返ってこなくて、そのかわりに大きな手が私の口を覆った。外灯に照らされて人差し指と中指に挟まれた細いタバコを吸うと、なんだか悪いことをしている気になったけど、もう大人なのだ。 そう思うと苦いものも苦くない気がした。彼は私を見ずに私がタバコを口から離したのと同時に手を私の口元から離した。離れた瞬間苦い後味が返ってきた。最低。











真っ白な息が二筋、イタリアの路地裏の明けきらない夜に真っ白な線を引いた。











あれからもう一年経つのか、と感慨深く歩く。イタリアの冬の夜は温暖化と言われているにも関わらず、相変わらず寒い。 そういえばあの日はクリスマスの夜だったのかもしれない。子どもはサンタさんを待って静かに寝ていて、その子どもを起こさないようにみんな静かに早いうちに寝てしまっていたのかもしれない。 そう思うと私も静かにしなきゃな、と石畳をなるべく静かに歩く。でもやっぱり一人の足音はやけに夜の路地裏に響き渡る。 タバコに火をつけてみた。あの時と違うのは今度は自分でつけて、自分で吸っているのだ。あのときの外灯はもうちかちかと点滅していて、代わりに満月が私を照らした。 やっぱりなんだか悪いことをしているみたいに思えた。このときは口に含んだ時点でもう苦かった。タバコの箱の端っこが少し血で染まっているのに気付いた。




昨日、無事に帰ってきたのは彼ではなくこのタバコだけだった。彼はもうすでに冷たく、白くなってて、元々白いんだけど、もっと、病的な白さになっていて、 箱に入ったときの彼と言ったら、白菊に埋もれてしまうんじゃないかと思った。彼は多分こうなることを予想していたのだろう、いつもは中々入れてくれない書斎に行くと、彼のものは全て処分されていた。 多分他の人が一緒に行ってなかったらこれも彼自身さえも戻ってこなかったんじゃないだろうか。そう思うとなんだか彼は猫のような存在だと今更ながらに思った。 小さい頃から縛られるのが嫌いで、私と付き合ってからも結婚っていう契りは交わさなくてただそこに一緒に居る、なんだか本当に結婚してないから夫婦って言えるのかわからないけど、熟年夫婦みたいな感じだった。 だからきっと、ついていくと縋り付いても無駄だったんだろうな、でもそうしてたら少しは変わっていたかな、なんて。




煙が目にしみた。ぼろぼろと出てくるもので私の視界はかすんで暗いけれど、煙が朝焼け色に染まっていった。 今なんとなく脳裏によぎったのは、最期の彼伏し目がちに佇む全身だった。