あぁまた来たの、 興味もなさそうにその男は呟いていつもの巻物を広げ、それに目をやった。一通り目を通したのだろう、確認のようにこちらを見て、あれ、今度は右腕がないじゃん。前は左足だったよね、先天性の病気って設定で。今回はちゃんと五体満足にしたはずなのに。 …訂正、興味がないわけじゃない、男は私の右腕にしか興味がないのだ。にしても。輪廻転生とは何回やっても面倒なものだ、死んだという感覚がなく、いつものように寝て、起きたらここに居て、こいつに裁かれる。 別にそれだけならいいのだけれど、ここに居る間はずっと人間の格好なのだ。慣れ親しんだ四足歩行ではなく、二足歩行の。うーむ、どうもふらついてならない。こればかりは何十万回輪廻しようと慣れないのだ。 今回は天国ね、男はさらりとそう言ってのけた。私は特に返事をするでもなくいつも通り私の後ろにある天国への階段を上ろうとする。ふらふら。いい加減慣れなよ、という笑いを堪える声が背後から聞こえる。 くそう、あいつ、今度天国に見回りに来たとき、絶対ひっかいてやる。恨めしそうに男を見たあと思いっきり開いた自分の左手を見る。綺麗に爪が切り揃えられた5本の指に手のひら。はぁ、これをため息を吐かずにどうしよう。 2,3段上がったところでどうも勝手が利かずこけてしまう。あぁもう仕方ないなぁ。ぐずった子どもをあやすような声が聞こえたと思うとずっと後ろにいたはずの男がすぐ近くに居てこけたままの状態の私を見下す形で立っていた。 何、と睨みつけると送っていってあげる。と私の有無を聞かずにひょい、と私の体を持ち上げてしまった。おいこら、私は今人間だ。それは猫を抱く抱き方だろう。声に出したつもりはないけれど、 前世もその前もずーっと猫だったからいいでしょ。と悪びれもない様子で答えられた。2,3段を軽々上ったあとに何かを思い出したかのように後ろを振り向いて、ずっと男の傍らに居た鬼に「そういうわけだから!」と声をかけてダッシュ。 鬼は早く帰ってこいよと少し呆れ気味で答えるだけだった。こんな上司を持つと大変だろうな、頑張れ鬼。 96万回目以来の天国は下界のどこよりもすごく清々しかったけど、やはり物足りない。長閑すぎるのだ、何もかも。 たとえばやんちゃして飼い主に怒られる心配もないし、野良に混じって縄張り争いをするという生死と隣り合わせになることもない。 けれど逆にそういうことがないから、すごくつまらない。 飼い主に怒られるのも、弟分と餌をとっただのとらないだのの喧嘩をするのも、今思えばやっぱり好きだったかもしれない。 一度、右腕を失ったあと、飼い主に家の中に2〜3日閉じ込められたことがある。やっぱりここみたいに長閑でご飯も定時になれば出てきて、のんびりできてよかったが、今と同じようにつまらなかった。 私が不満気にしているのがわかったのか、男はここじゃつまらない?と聞いてきた。 「地獄に落とした方がよかった?あ、でもそれはできないけどね。また不祥事で怒られるのは勘弁だし」 「別に、そういうわけじゃないけど」 「でもずっとつまらなそうな顔をしてる」 そんなことない、とは答えなかった。男は苦笑いしながらたまにこっちに遊びに来るくらいなら大丈夫なんだけどね、地獄はちょっとね、とかなんとかぶつぶつ言っている。 ふつり、とその言葉が切れたかと思えば男は私をいつの間にか入っていた小さな小屋の、忘れ去られて年老いた感じのベッドに降ろして、馬乗りになっていた。右腕はないので、左腕だけ拘束して。 私は別に抵抗するでもなく、ただただ男を睨み付けた。けれどそれが睨み付けていたのか泣かないように強がっていたのかは私にはわからない。ただ、男の赤い目と左の少しごつごつした細い指がついた手はそれでも私を離してくれない。 しばらくその状態が続いたけれど、あぁそろそろ行かなきゃねと言う声とともに全て、何もかも幕切りされた。ただ私の心に変な靄を残して。 「ねぇ、知ってた?」
100万回目は |