私には双子の兄が居る。かの有名な「聖徳太子」だ。けれどそれ以前に私の兄であり、1人の人間だ。それでも人間、優れていると周りから浮き彫りになっていくもので、あるない噂がいっぱい飛び交い、勝手に神聖な存在にされ、それによって孤立した。 一方私はというと、「聖徳太子」に汚らわしい双子の妹が居ると知れたら世間体もあったもんじゃないので、身分をひた隠しにして、それでも兄ほどではないけれど女としてはほぼ異例の大礼という階をもらい、官人として必死に仕事をしていた。 私と聖徳太子が双子だと知っているのは馬子さんと妹子と、推古様くらい。あと朝廷外の人間だとゴーレム吉田さんとかフィッシュ竹中さんだとか。(後者2人は私は会ったことがないからどんな人かは知らないけれど) 知っていたところで私と兄がしゃべれる機会なんてほとんどないし、あったとしても仕事のことや、事務的な諸連絡のときくらい。それでも兄は私を「妹」として見ていたし、少なくとも官人としてみることはほとんどなかった。 「私はね、。普通に暮らしたいんだ。普通に家族で食卓を囲んで、普通に遊んで暮らしたい」 ぽつりと兄が漏らした言葉だ。私は回りに人が居たため、なんとも言えない返事をして苦笑した。兄もすまない、と謝って苦笑した。それがどれだけ兄にとって苦痛だったか、今ならわかる気がする。 けれど私はあくまでも兄の前でもどこでも「官人」という身分。兄がいくら私を「妹」扱いしてくれようとそれは私にさえ許されない。胸の奥でくしゃりと音を立てて何かが潰れた気がした。 私だってそう思います、なぜそう言えなかったのか。今更そんなことを考えても仕方ないのだけれど、今も喉に痞えたその言葉をどうしても兄に言いたくて仕方がなかった。涙が止まらない。 いつかは反乱が起きると予想していた。兄の政治には抜け目がなかった。それどころか、冠位十二階(本人曰くかゆい十二回らしいが)や十七条憲法、どれも秀逸なものだったと思う。 けれど世襲重視の世の中をいきなりひっくり返したものだ。世襲に頼ってきた者がいい思いをするわけがない。某日の夜、兄の部屋は反乱の者で囲まれた。部屋に居るのは妹子と調子丸くんと馬子さんと私。 相手は数百人、どう見ても負け戦だ。夜だと言うのに反乱の狼煙を上げた者たちの松明で外は昼並に明るい。いつもは優しい妹子が舌打ちし、なんで、と行き場のない怒りをあらわにし、馬子さんはというと黙って何か策を練っている。調子丸くんは…言わずもがなだ。 兄は黙ったまま、松明の明かりを見つめていた。私も黙ったまま、そんな兄を見ていた。馬子さんの口が開く。 「提案がある」 4人ですがる気持ちで馬子さんの方を見る。「でもそれには一人犠牲にならなければいけない」私の方を見据えて言う。喉が渇く。口も渇いてきた。なんとなく、予想がつく。 「変わり身だ」淡々とした様子で馬子さんが告げた。あぁ、当たった。私は拳を握り締めて馬子さんを見つめた。目を瞑って、一つ息をつく。 時間がない。わかっている。でも口が開かない。何も言えない。「普通に暮らしたい」兄の願いをかなえたい。でも、私だって兄と普通の暮らしがしたい。気持ちがせめぎあって、決着がつかない。 その傍らで妹子が抗議する。けれどすぐに馬子さんに言いくるめられて何もいえなくなる。兄は、黙っている。兄のほうを見ると、拳を震わせてただ下を向いていた。 あぁ、この人は。(本当に、一人の人間で私の兄なのだ) 決着は、ついた。 「わかりました。太子様、妹子の服を着て裏口から馬子様たちとお逃げください。」 乾いた喉からかすれた声で、けれどきちんと兄を見据えて言った。だめだ、涙が出そうだ。妹子にいたってはもう泣いてるけど。兄は何も言わず、首を振った。否定、なのだろう。 そんな兄の気持ちとは反比例に松明の明かりはさらに数を増して、戸は今にも破られそうだ。本当に、時間がない。もう一度妹子が舌打ちする。そして着替えてはいないけれど、兄を引っ張って行こうとする。 私はその間に兄の正装に着替える。多少カレー臭い。まぁ仕方ないか、苦笑いして、「行ってください、兄さん」と言う。自分でも自然に出た言葉だ。兄はその言葉を聞いてばっ、と顔を上げる。 その顔は涙でぼろぼろになっていて、鼻水も出ていた。けれど情けないことはなかった。むしろ、怒っているということが汲み取れる顔だった。 「私は、普通の暮らしがしたいと言った。覚えてるよな、」 「ええ」 「その普通の暮らしは、家族と、と言った。それも覚えてるな?」 「はい」 「私の家族は、もうお前だけなんだ。なのに、」 なんで、言い終える前に妹子が兄を担いで「この国の長はあんたなんだ!今は、馬子さんに従ってください」涙声で、必死に叫んだ。私を見た。ごめん、と一言呟いた。 どういう意味のごめんかはわかる。私は剣を腰に携えて妹子をちゃんと見て、「兄を、頼みます」と言った。その間も兄は必死に抵抗を続けていたけれど私が「また後で、絶対行きますから」と言うと納得はいかない様子だったが「絶対だぞ」と言って そのまま妹子に担がれていった。後で、絶対に、なんてありえない。この数だ、きっと私が兄じゃないと気付かれればどうなるかは容易に想像できる。けれどそんなこと今はどうでもよくて、誰も居なくなった部屋で一人つぶやく。 「もしも、輪廻があるなら、そのときはまた双子に生まれたいです」 「そのときは、」 戸が、破られた。 |